アンノーンの力…不確定要素もしくは「あそび」

 
先日までアニメ感想を連騰していて思い出したのは、
 
あれが?‥‥し
 
 
確かに、
 
ほとんど作品に関係の無い話だったかもだけど‥‥し
 
 
 
中二病」と「恋」の話としてではなく、
 
「虚構」と「現実」の相互作用による心の救済の話として、
 
 
同じテーマを描いている作品としては、例えば、
 
 
 『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』
 
 
〜を、思い出すんだよね。
 
ゲストヒロイン ミーの救済の物語として。

 
ポケモン♪♪
 
 
 
 
アンノーンの暴走を、中二病的妄想〜と読み替える*1と、
 
結晶塔や幻想のポケモン達 及び エンテイというパパの幻想は、
 
ヒロインの願望そのもの。
 
 
 
それは、
 
そこでは誰の目にも見えるものとして映画には描かれているけれど、
 
そこを私は「中二病同士なら判る≒見える」ものの様に読替えて観てたのね。
 
 
え〜‥‥。
 
 
 
この作品は、結晶塔という「中二病世界との決別」を描いているようだけど、
 
外の世界に出る為に、彼女はエンテイ(パパ)の助けを必要とする。
 
それが無ければ救われないもの〜として幻想の存在を配置している*2
 
 
それは演出として意図的にそうしていると思うのよね。
 
伝えたいメッセージとして。
 
 
 
 
加えて、
 
ヒロイン(ミー)を外の世界へ導くサトシ達は、
 
幻想のポケモン達(中二病攻撃)に、
 
ダメージを受けながら(リアクションを返しながら)、
 
彼女に近づく*3
 
 
 
それは「中二病でも恋がしたい」の勇太が、
 
六花と心を通わすのに、中二病 台詞が欠かせなかった
 
ようななものだ〜と私は解釈する*4のね。
 
 
う〜ん‥‥。
 
 
 
ただそこは、映画の価値観では、
 
その「世界」の「肯定」と「否定」は、彼女の中だけに秘される。
 
 

*1:ここで言う中二病は、中学二年生特有の思春期を踏まえた意味ではなく、あくまで非現実的な幻想という意味での中二病

*2:そのエンテイは本物だった〜という解釈もできるけど‥。

*3:そのやりとりによって、理不尽な境遇を与えた「世界」に対する「被害者」である自分(自分以外はみんな敵状態)が、周囲の人間を苦しめる「加害者」へと転換する。自己認識に矛盾が生じる。

*4:もっと象徴的に濃縮されているのは、ななちゃん(担任:九十九七瀬)が「天然のフリして意外と策士」な対応(3話)かな。演じているのが17才教の教祖・井上喜久子様‥というのがまた。