相変わらずのタイムラグ

またまた今更だけれども、ようやく視聴完了。
 
 「中二病でも恋がしたい
 
いやぁ、11話は見ていて ほんと痛かったね。
 
‥‥なんぞ?
 
 
説明無しに続けちゃうけど、
 
 
あの従順な「いい子状態」は、
 
本来の意味での「アダルトチルドレン」であって、
 
精神的な自傷行為に他ならないんだよねー。
 
 
虐待されてる子どもが、「逆らう」という選択肢を完全に外している様なあれ…。
 
 
誰一人味方の居ない状態。
 
その「他人の意見に従順」な状態は、
 
 その者への信頼からではなく、
 
 誰もが総じて自分の理解者ではなく、
 
何を言っても無駄だと諦観している状態。
 
 
心が麻痺していて、無痛状態になっているが故に、
 
何を受け入れても差が無い状態。
 
 
 
 
ただ、この作品の場合、
 
一定程度の信頼がある上でのコトではあるし、
 
ヒロイン(六花)を そう縛っているのは、
 
当然、虐待によって〜ではないけどね。
 
 
例えば、傷ついている母や、不安がる姉などの、
 
ある意味「弱者の恫喝」に晒されている様な状況に置かれ、 
 
自己の「良心」によって縛られ、追い込まれている自縄自縛。
 
 
真に利己的な傍若無人として「中二病」をしていたのならば、
 
決して、ああはならない。
 
 
 
 「友達になって下さい」
 
 
ヒロインのその台詞に、何の抵抗も無く受け入れてくれるクラスメイト。
 
 
すごく優しいのだけれど、
 
あの場合、「許容」こそが存在否定なんだよね…。
 
拒否してくれた方が、自分の考える自分の存在が逆証明される‥というか。
 
 
拒絶されるということは、ある意味 その者の認識の中で、
 
中二病状態であった自分をこそ、あるべき姿として認識している証であり、
 
表面を偽っている今の自分ではない「本当の自分」を見てくれている。
 
そういうものが この世に存在する事が、前提となっている証。
 
 
そう言う意味で、その優しさも痛い*1
 
 
 
けど、
 
このテーマ‥メッセージを伝える為の作品であったなら、
 
このタイトルは適合していないんじゃないかなぁ‥
 
 
 「中二病でも恋がしたい」 ‥って。
 
 
 
以前ちょっと触れたからって理由で、
 
ちょっと書きか始めちゃったんだけど、長くなったので後日に「つづく
 
 
え〜‥‥っと。
 
 

*1:あのクラスメイトなら、中二病状態のままでの告白あっても、問題なく受容してくれてそうだけどね。