八百万の神の国は多様な価値観を認めているのか?

 
 
 「多様な価値観を認めるべきだ」
 
 
〜そう主張する人の半分くらいは、
この言葉を、こういう意味で使っている。
 
 
 「オレの意見を否定するな!」
 
 
行間を埋めると こんな(↓)感じ、
 
 
 「(世間では)多様な価値観を認めるべきだ(と言われている)。
 
  (だから、その言葉に従って、オレの意見を否定する権利はお前にない)!」
 
 
つまり、
 
 
 「世の常識は否定できない正論のはずだ。だからこの主張は正しいのだ。」
 
 
〜と、言う用法で使われているらしい。
 
パクパク‥‥。(・◇・)
 
 
 
 
何故、そうだと気付いたか…
 
そうだろうと推定したか〜というと、
 
 
そういう言葉を使う人に限って、
 
自分とは異なる価値観を認めようとしないし、
 
理解しようともしない〜から。
 
‥‥?
 
 
 
 
もちろん、口先では、
 
言葉面で「認める」とも「尊重する」とも言ってはいるけれど、
 
相手の価値観を否定するような行いをするし、
その行動を改めることもしない。
 
 
なぜその行為が、異なる価値観を持った人の価値観を否定するのか、
 
 
それを理解しようともしないし、
 
理解できないから、平気な顔で善意のつもりで、
相手の価値観を否定する。言葉ではなく行動で。
 
もしくは、その言葉の中の内容で。
 
‥‥。
 
 
 
 
そして、
 
理解できていないから、そんな行動をするのだろう〜と、
 
改めて理解を求めると、
 
 
「自分の価値観を否定される」と受け止めて拒絶モードに入り、
 
「多様な価値観」を持ち出して、理解しようとしない自らの態度を自己正当化する。
 
 
時に、
 
優越的地位に居るのに、言葉だけは下から目線で、
 
自分が被害者のような振る舞いをして、
 
こちらを加害者のように演出してくる。
 
‥‥。
 
 
 
 
盤石なんだよね。無敵モード。
 
いじめ加害者が、「加害者にも人権が〜」と言ってくるのにも、
少し似ているかも知れない。
 
 
 
‥‥。
 
 
 
また、
 
そういう人に限って、
 
 
 「日本は八百万の神の国だ」
 
 
とか言っちゃったりする。
 
 
「自分の価値藩は神の如くに侵すべからざるものとして扱え」
 
という事らしい。
 
 
そこに相手の価値観の事などは、想定に入っていない。
 
‥‥。
 
 
 
 
何百万の神が居ても、
 
それぞれが一神教のように断絶した世界‥ってことなのかな?
 
 
 
同じ世界に居ても、同じ空間、同じ場所に居ても、
 
住んでいるレイヤーが違っていて、
 
 
コミュニケーションが取れない関係として、
 
居ない者として振る舞っている
 
 
〜ということなんだろうか。
 
 
−−−。