「このネコ自分のコト、ネコとは思っていないみたい」

 
「この[動物名]は自分のことを[動物名]と思っていない」
 
 
〜というような台詞は、よく使われるよね?
 
しばし耳にする。
 
 
にょ?
 
 
 
飼い犬だったり、飼い猫だったりが多いけど、
 
それ以外にも広く使われているよね?
 
 
そう感じる瞬間や事例は、人それぞれだろうけれど…ね。
 
うにゅ〜‥。
 
 
 
そういうこと、
 
実は、
 
私は、そんな風に感じたことがないのよね。
 
 
え?
 
 
皆は、
 
どこに それを感じているんだろうか…。
 
え〜‥‥?
 
 
 
なによりも、当の動物自身は、
 
いちいちそんなこと考えていやしないだろう。
 
 
自分が猫か人間か…なんてサ。
 
 
そう‥?
 
 
と、思うけどな。私はね。
 
 
 
 
でも、思うのね。
 
そういう風に感じる人は、おそらく きっと、
 
 
まず前提として、
 
 
 「猫とはこうである。」
 
 「犬とはこうであるべきだ。」
 
 
〜という
 
堅い定型が存在しているんだろうな〜。‥って。
 
‥‥。
 
 
で、
 
その定型から外れている(ように見える)動物の姿を見て、
 
 「あ、なんか[動物名]と違う…?」
 
…と思うんだろう。‥って。
 
 
 
例えば、
 
「猫は機敏なはずだ」と言う前提があれば、
 
「テーブルの角で頭をぶつける姿」を見て、
 
「猫らしくない」と思う。
 
など。
 
あぁ〜〜‥。
 
 
 
その「あるべきだ」から外れたものを
 
回収する方便の一つが、
 
「自分を人間だと思っている」
 
なのだろう。
 
 
…と思う。
 
 
ネイティブの英語を聞いているのに、
カタカナ英語として聞き取ってしまうような脳の癖として。
 
う〜ん‥‥。
 
 
 
だから、
 
その動物の「定型」の幅が、狭ければ狭い人ほど、
 
定型に当てはまらない部分が多くなる。
 
 
そういう人ほど、動物の中に「人間」を見出す事が多い
 
‥んだと思う。
 
 
日本語が上達するほど、英語が難しくなる〜
 
‥みたいな?
 
 
かな?
 
 
 
でも、そうであるほど、また、
 
自分の家の子が、特別で可愛く思える。
 
 
‥んだと思う。
 
 
 
あまり固定観念を持っていない私などは、
 
どんなに人間らしい振る舞いをしている動物を見ても、
 
「そういう事もできる動物」
 
と思って、現実をそのまま受け止めてしまう。
 
それによって破壊される固定観念が無いからね。
 
言い換えれば、ばか♪♪
 
 
そうだよっ! ( `r´)
 
 
 
強いて言えば、
 
「同じ ほ乳類なんだから、
 感情や心理に共通する部分が有って当然だ」
 
‥とか思ってしまう。
 
 
動物の仕草を見て、
 
「自分と同じだ」と感じても、
 
それを
 
「人間ならではだ」とは、思ったりしないんだよね。
 
 
いいんだか‥、わるいんだか‥‥。