輪るピクトグラムと空目した当初。

 
二ヶ月遅れかも…?
 
先日、
 
輪るピングドラム」を視聴終了
 
いまさら‥‥。
 
 
 
彼の作品は、抽象度が高くて よくわかんない…。( ̄△ ̄)
 
 
 
<あ、この先は、ネタバレするよ>
 
 
 
ダメなら、ココまで♪♪
 
 
 
 
けど、
 
ある意味で、この作品は まどマギ*1と同じだね。
 
え?
 
架空の家族(友だち)を、かつて居たこと にして、
それによって今を生きる意味と覚悟を手に入れる話〜として。
 
あー。 
 
 
 
けど…、
 
そういうテーマで語るなら、
 
まどか のようなゼロ座標なキャラは理想的だけど、
 
 
 …素体、祖型、ホムンクルス…として…
 
 
ピンドラでは、テロリストの子ども等を、
そこに配しているんだよね…。
 
 
で、「親の罪は子に無関係だ」と言うのでなもなく、
彼らを罪人として退場させている。
 
 
なぜに そこを選んだんだ? どんな意図で?
 
…よく判らない。
 
それは〜、
 
共感の主体として配すことで、彼らを肯定するんだと思ってたら、
彼らはおもいっきり否定されてるし…。
(まどマギのさやかも退場はさせられたけど…)
 
否定‥‥。
 
 
「何者にも成れぬ」
 
そう、生きることを放棄しようとする少女が、
いや、死すべき運命にある少女が。…つまり、そう感じている者が、
 
 
「子に親の罪を償う責任は在るのか」を問うのではなく、
それは在ると断じるこの作品で、
 
その「罪人」二人を、自分の守護者として想定することで、
 
その者等によって、救われる。
 
ほむら の まどか だよね。
 
対比するとね。
 
 
 
かんば と しょうま
 
彼らの存在を、現実(乗換え後の世界)では否定しつつ、
彼らの存在したことを…歴史としての意義を…認めることで
 
生命を取り戻した。…として描くこの作品は、
 
 
何者にもなれない者達を…死なせずに生かした少女を…、
 
物語としては、
 
はたして 肯定しているのか 否定しているのか。
 
 
生かしたんだよね?
 
うん。
だから、生かしたことが肯定なのか? ってコトね。
 
 
 
つまり、
 
テロリストを肯定する存在が、この社会で、
死すべき運命に抗って、死んでしまわずに、
生き続けてしまっている。(ひまり)
 
…ということを、作品を通して訴えているのではないか?
 
とか。
 
 
そうも読めるわけで…。
 
そう‥思うのぉ〜?
 
さぁ?
 
もしかしたら…さ。
 
 
 
普通に読んだら、
 
やっぱ、この物語は、
 
 
彼らの主観で、彼らに自己投影させる形で、
彼らに共感させるように描いていった。
 
それは、普通、その存在を肯定させるための演出。
 
 
…なんだけど…この場合…
 
…判らない。
 
ムツカしいことはいいじゃん‥‥。
 
 
 
 
え〜?
 
考えないと、キモチワルイじゃない? なんかさ。
 
そう?
 
 
 
 
でも…、
 
何か深い意図がある〜と言うよりは、
 
感情フックになりそうな要素を集めて
ひたすら並べているだけ〜って感じちゃうトコロも。
 
終盤の展開には、連載漫画みたいなヤッツケ感も…。
(必然性の弱いミスリードの破棄…とかというか)
 
 
監督は、計算で、全体から割り算で物語を作るタイプだと思うけど。
 
割り算?
 
え? えーっと…。
一言では説明できない。
 
そっか‥。
 
 
 
ひまり を救った想像の二人であるところの
かんば と しょうま だけど、これ…、
 
古くは、「みゆき」みたいな、
 
男性が、両極の異性のどちらを選ぶべきか?
 
〜の女性版でもあると思うんだけど、
結局、どちらも選びませんでしたね…。
 
…逃げたな。
 
じゃ、どっちが正解?
 
今の時代として? う〜ん。
 
じゃなくて‥、
 
は?
 
‥‥。
 
 
 
 
まぁ、プロの作り手ではあるよね。
 
ともかく最後まで引っ張ってゆく力はさすが。