皆々様、ご苦労様して上げる。

「お疲れ様です」と「ご苦労様です」の使い分け
 
とかが、まことしやかに言われている。
 
 
「ご苦労様」は、「目上から目下へ」って、
 
それホント?
 
みんなそう言ってるし。
 
でも、誤用の方を正解だと思っているなんてことは、
良くあることで…。
 
まぁ‥ね。
 
 
 
慣用表現として、ニュアンスは私も判るけれど、
それって、文法的な正しさじゃなくない?!
 
さぁ?
 
 
これって…、
 
バブル期以前の昭和ドラマなどで、
 
成金社長が踏ん反り返って「ご苦労〜ご苦労〜」とかって
言って回ってるシーンのイメージから来ているだけ
…なんじゃないの?!
 
絵が浮かぶ〜♪♪
 
 
 
それとか、
 
「苦労」を強いられるのは、立場の弱い労働者だけであって、
ブルジョワ等の「目上の者」には「苦労」など存在しない!

…みたいな、プロレタリア文学なフォーマットが
影を落としているだけ…なんじゃないかな?
 
!?
 
わかんないけど。
 
 
 
でも、フラットに この言葉を見たら、
目上の者だって苦労はするし、
その苦労に「お」を付けて丁寧語にしているし、
「様」をも付けて敬ってもいる。
 
これでなんで見下しなの?
 
う”‥‥。
 
 
 
ついでに、
 
 

して上げる

 
似た印象を受ける表現として「して上げる」という
言い回しがある。
 
 
これも、使うと「傲慢だ」…とか言われる。
 
 
なんで?
 
だって‥‥、
 
普通に意味を考えたら、自分が謙って下にいて、
目上にいる相手に対して「さし上げて」いるんだから、
なんで これが偉そうなんだ? ってのが正直な感想。
 
う〜ん‥‥。
 
 
 
これも、慣用表現って感じのモノで、
 
私のイメージでは、
 
母親が、子どもに対して「して上げる」
 
…ってトコロから 来ている印象。
 
!?
 
 
母親という強い立場から、
立場の弱い子どもへと向けられた「ほどこし」。
 
…というイメージが、拭い難く付いちゃっている
んじゃないかな…? …って。
 
はぁ‥。
 
 
 
でも、それだって、元々の いきさつは、
 
 
昔の男尊女卑の時代に、
 
「家長>長男>母親>娘」
 
…みたいな序列の中で、
 
母親は息子を、目上の存在として扱っていた、
その名残なんじゃないのかなぁ…。
 
ははぁ‥。
 
…とかって思ってしまう。
 
 
 
だから、決して 本来は傲慢な意味など有していない
…と思うんだ。
 
そっか‥。
 
 
…実際は、解らないけれど。


 

まとめて

 

例えば、
子どもにつける「ちゃん」とか「くん」とかだって、
名前に付けられて呼ばれるとバカにされた気分に成るの解るけど、
元々は貴人に付けられた身分や敬称だったんじゃないの?
そうなの?
 
知らないけど。なんとなくさ*1
 
 
 
慣用句は慣用されている表現だから、
その意味が文法的に合っていようが、間違っていようが、
慣用されている表現が 慣用句な訳であって、
スラングとかと同じで、一定程度の認知があり、
その状態が一定程度続いていれば、それが「正しい表現」
となるんだ*2〜とは、思うんだよ。思うんだけど…。
 
こういう「敬語」って、
日本語の本質的な機能を損なっている気がする。
 
素人が‥、
 
そうなんだけど。
 
 
 
だけど、今ここで上げた二例は、
形容詞だとか、接尾語とか、そう言うのとは違うじゃん?
固有な意味をくっつけて生まれているんじゃない。
 
日本語の根幹的なルールが ねじ曲げられて慣用句になっている感じ。
 
 
意味は意味として、ニュアンスは解るけど、
権威「的」な存在が、「これが正しい」
「こうあるべきだ」とかって やっちゃうのって、
なんか、こう…、すっごくダメなコトしてるような気がする。
 
し〜らないっ♪♪
 

*1:クンは明らかに君…君主から来ているよね。殿は、お殿様だし。氏は皇族から下賜されるものだったし。子どもは王様〜みたいなトコロから来ているんじゃないの?

*2:「誤用→スラング→慣用表現→慣用句」って印象