「ほんと尊敬するよ」

誰かを「尊敬する」って言う場合には、二つの立場があると思う。
 
ふたつ‥?
 
 
自分も そうなりたいと願い、近づこうと努力している場合
 
…と、
 
そうでない場合。
 
なにそれ?!
 
 
口では「憧れる」と言っていても、行動が伴っていない場合ね。
 
模倣の対象になっていないというか…。
 
 
 
その後者は、さらに二つに分けられる。
 
自分には とうていできない。憧れはするけれど、まず無理。
絶対無理。想像もつかない*1
 
って場合と、
 
そもそも自分は するつもりもない。できてもやらない。やりたくはない。
 
って場合と。
 
あきらめ‥‥じゃなくて?
 
諦める場合は、ある程度の目指そうとした痕跡はなくはない訳で、
まったく目指していなければ、諦めるというコトも無い道理。
 
はぁ‥。
 
 
 
後者の後者の場合、
 
自分は やりたくはないけれど、社会的には無くてはならない
大切な機能を担っているから、居なくなっては困る。
 
って評価はしてる場合と
 
もしかしたら なんか役に立つこともあるかも知れないけれど、
基本無駄。無くても良い。
 
って評価すらしていない場合とがある*2
 
それを「尊敬」って言うの?!
 
 
言えるんじゃないかなぁ…。
 
なんにしろ、自分には出来ないことが出来ることはスゴイことだし、
 
真似が出来ないという事実は事実として厳然と残るんだし…*3
 

加えて、
 
「代わりにやって」と言われて「無理だ」と答えるための予防線でもあるのよね…。
 
そこかーっ♪♪
 
 
でも、少なくとも、
 
社会的に不可欠であって、担う人が居なければ困る分野の人材は、
もっと正当に評価しなくっちゃダメなんじゃないかなぁ…。って思う。
 
不況を利用して、職に就けない人の生存権を脅かして、
辛く安い過酷な職場へ追い遣ることで間に合わせるのではなくってさ*4
 
 
で、そこに落ちるんだ‥‥。

*1:アイドルとか芸能人を視る視線とか、スポーツ選手を好意的に眺めてる視線とか。追っかけの心理とか。

*2:オタクに対する視線とか。マニアの収集物とか。匿名掲示板での野次馬根性とか。

*3:価値観が多様化すればするほど、自分では評価していないことにも、その価値を認めなきゃいけないことやものや機会は増えるはずだよね。当然のこととして。まだ、一元的な評価から抜けきっていない段階だからこそ、模倣はしない尊敬が偽善っぽく聞こえてしまう。そんな側面もあるんじゃないかな。

*4:競争率が高くって、高給で安楽な職場から増税して、困窮してる分野に流していいと思う。国益から考えても。消防・警官・自衛官、開業医でない勤務医とか…はちょっと違うか。違うついでに、手一杯の教員も早く少人数学級や副担任をつけてさ。介護や保育はモロそうだよね。ねえやや家政婦・下働き感覚で見てる人の多さ。物流業界とか。そういう所こそ正当に評価して、優秀な人が集まれば、全体も引き上げられるのにね。そして、集まりすぎたところは対価を下げて分散させる…その調整をするのが政治なんじゃないかな。でも、過密なとこほど政治的に強い(役員役職の多さは根回し要員の充実)から優遇されて歪みを増す負のスパイラル。ああ…。