ゲームだからこそ、得られるもの。

今週のお題の「ゲームと私」…なんだけど。
 
ん?
 
最近、ほとんどゲームしてないのね。
でも、ゲームとは無関係とは思わないのね。
 
?‥うん。
 
だから、「ゲームと私」ってよりは、
 
「ゲームとゲームする人と私」って感じになるかな。
 
なんのこっちゃら♪
 

ゲーム原作のアニメ化

 
ゲームはしないけど、その代り録っているアニメは色々よく見てる。
 
その中にはゲーム原作なアニメもある。
 
それ視てゲームをしたいとは思わないんだけどw
 
楽しませてもらっている。
 
 
そして、…原作があるもののアニメ化は どれも同じなんだけど…、
 
人気があって要望があって…、大人の事情的に言えば、
関連商品のメディアミックス的な勝算があってアニメ化している訳で、
 
「今」の反映として、時代を感じさせてくれるものにもなっている。
 
そっかな‥‥?
 
ホントはどうかなんて わっかんないけど、
 
アニメを視ているのは、そんな世間の夢や願望の塊で、
ほんの上澄みを概観できている感じがするのね。
 
 
中でも、ゲームというメディアは、ユーザー的に、
評価されるまでに一番労力を費やされるメディアだ〜と思うのね。
 
マンガだと一冊30分くらいなか。
小説、ラノベだと…3時間くらい*1
 
ゲームだと30〜60時間とか かかるでしょ?
別ルートとか、マルチエンディングだと、その数倍?
 
トロイと割り増しぃ〜♪♪
 
そうだよ。( `r´)ぷぅ
 
逆に上手い人は その辺 巧妙に短縮してできちゃんだろうけど、
そういう人達が費やした時間の、費やすに価したと思えたものの、
ほんの上澄みの、でも一番濃厚な場所だけを味見できるわけで…。
 
で?
 
 
ゲームをプレイしなきゃ得られない体験ってのもあるから、
全部を知った気になっちゃダメだ〜ってのは、戒めてるよ。
 
で、その上で、ゲームしてる人に感謝してるし、尊敬してる。
 
ホントにぃ〜?
 

ゲームと販促番組

他にも、
 
買うつもりも予定も微塵も無いゲームの販促番組であるところの
Webラジオを聴いていたりする(ゲームだけじゃないけど)。
 
そういうのを聴いて まったりしていられるのも、
そのうちの何割かの 買ってくれてる人達が居るから〜なんだよね。
 
そんな人達への感謝というか、市場原理の必然というか。
 
お金持っている人達の見る目の確かさというか…。
 
そういうのの上に乗っかっているんだな〜ってつくづく思っちゃう。
 
タダノリ〜♪♪
 
そういう形で、自分も世界に干渉したいな〜って思ってはいるんだけど、
どうにも優柔不断で…*2
 
 
もちろん、
 
無料放送されているTV放送も、ホントはこれと同じ原理が働いているはず…
なんだけど、
当たり前になりすぎていて、そこへは感謝が麻痺しちゃっている。
 
ただ…、合間合間で巧妙に、様々な思惑が重層的に組み込まれていて、
…いるっぽくって、素直に集合知の顕現だ〜とも思えなくなっているのもあるかな。
 
小さな市場では、その辺の作為が見えやすい分、
割引いて判断しやすいかな〜って。
 
錯覚じゃないの?
 

ゲームのアメとムチ

 
ゲームってのは、他のメディアと違って、
「アメとムチ」の「ムチ」の部分がもっとも大きいと思うのね。
 
ゲームには、ユーザーをそのゲーム内に何時間拘束させるか
ってのが、ゲームの評価基準っぽい側面もあるから。
 
ハマルってやつか〜♪♪
 
 
結論を先延ばしにして、マンネリなコトをさせて足止めさせる。
 
けど、その…ある意味無駄な…単純作業をさせられても、
投げ出すことの出来ないほどの魅力を…ご褒美を…予感させるだけの、
ものが無ければ、途中でゲームを投げ出されてしまう*3
 
せっかく準備した感動のクライマックスも、視ては もらえなくなってしまう。
 
本末転倒‥‥。
 
 
その板挟みというか、兼ね合いというか、調整というか、
アンビバレントに矛盾する二つを最適化できたものが、
評価を得る*4
 
 
そうやって配置される「ムチ」を乗り越えるだけの「アメ」。
 
アメとムチの相乗効果というか、ムチの大きさはアメの評価と言えなくもなくって、
作品の評価基準として、まったく無意味ではないと思う。
 
単純な基準にもなるね。視聴率みたいな?
 
 
 
 
そして、その「ムチ」は、マンネリズムとも言えるんじゃないかな。
 
 
今、そのマンネリズムを体験させる事ができるのって、
マンガでも小説でも、できないことだと思う。
 
あるのはリアルでの、クラブ・部活の体育会系的なものとか、
学習塾的なツメコミくらいでしか…?
 
けど、ゲームでは、それをさせることができる。
 
それを見せたり、評価したり、理解させることまでならば、
マンガや小説でもできるとは思う。
思うけれど、「体験」させることまでは できないんじゃないかなー。 
 
経験値稼ぎとか?
 
 
 
小説世代が、マンガ・ゲームは「想像力が無くなる」とか言って腐すけど、
 
セーブデータが消えた時の喪失感とか、
そこまで積み重ねてきた時間の重みとかが どれほどのものか、
小説世代には、とうてい理解できないことだと思う。
 
全然理解できていないからこそ、「簡単にリセット」
だとか言えてしまうんだと思う。
 
 
そんなコト言えてしまう人こそ、人の痛みとか、喪失感とか、
理解できていないんじゃないか…とか思う。…と言ったら言い過ぎかな。
 
もちろん、現実で実際に愛しいものを失う喪失感に比べれば、
それだって、ぜんぜん大したことではないことは、言うまでもないんだよ。
 
でも、疑似体験で得られる心の免疫強化としてのメディア体験の比較だと、
自己投影型の成長ゲーム…RPGとか…その辺りになるんじゃないかな。
 
軍配が上がるのは。
 
 
 
けど‥、あんたゲームしてないじゃん。
 
ま、そうなんだけどね−。(;´▽`A''
 
でも、だからこそ、してる人を尊敬することができる訳で…。

*1:読んだこと無いから相場感覚が無いので…。

*2:ゲームの場合はプレイ時間の問題でこれとは違うんけど、もっと安ければ、映像ソフトなんか買うんだけどなー。両方欲しいけど、二つは買えない。どちらかは選べないからどっちも買わない(買えない)。となる。同じ再録であるはずのマンガのように、アニメが売れないのは、そんな事情もあると思う。良いなと思うのが10作あってもそこから一つは選べない。マンガなら10冊買えるのに…みたいな。変な特典いっぱい付けたり初回限定版とかせずにマンガ並みに値引きすればいいのに。製造(複製)コストは十数年前の比じゃないほど落ちているだろうに…値段は据え置き。何故?!

*3:小説やマンガなら読み飛ばせばいいし、それでも大筋は掴める。映画やアニメだって早送りすればいい。ゲームでは、それが基本できない。

*4:人気作品がその人気に甘えて展開を引き延ばすことも、これとちょ〜っと似ているかなぁ。無理に引き延ばしすぎると作品の破綻という結末が待っているけど、ゲーム制作においてはそれはない…んじゃないかな。今のところ。→ゲームが順次配信になってくると、その限りではないだろうけどね。