雨に思う季節と昔。

雨が続いた。
 
なんだか梅雨みたいだったね。
 
う〜ん。
 
 
元々、五月ってのは、雨の季節だったから、
 
えー? 「五月晴れ」って言うよ?
 
 
うん。
 
あれは、その
雨の合間の 希少な晴れ間 を尊んだもの なの。
 
あー。
小春日和(秋) みたいなものね。
 
 
う〜ん。ま、そそ。晩秋から初冬ね。
 
 
まぁ、旧暦と新暦で、約一ヶ月ズレてるんだけど、
 
もしかして、
暦に気候が すり寄ってきた?!
 
 
あははw
 
 
もともと、子どもの日に子どもの成長を願う
「こいのぼり」だって、
 
雨と関係が深いんだよ。
 
え〜?
 
 
あれは、「鯉の滝登り」なの。
 
鯉が龍になるために、雨の滝を登り天に至る
 
その姿と重ねてるの。
 
へー。
 
 
後付けの理屈だけど。
 
え?
 
 
本当は、
幟を掲げるのってステイタスぅ! って、
武士の風習を真似たのが始まりとか。
 
故郷に錦を掲げる♪
 
江戸時代、
身分の則を越える庶民の行いは禁じられていたので、
別の理由として捻り出したのが、それ…鯉幟…だったとか。
 
すっかり逆転してるね。
 
 
これも、
 
昭和の天皇誕生日を「みどりの日」と呼んで存続させたようなものね。
 
あれで、左寄りの時代を乗り切ったわけ。
 
けど‥、
名称を戻したのは、ちょっと無粋だったかなー。
 
 
 
武士の、武具の陰干しって至極合理的な習慣が、
古代中国に起源を持つかのような奥深い風習になった。
 
これこそが日本の文化力なのかな。って。
 
 
みどりの日も、単なる昭和の日でなく、
地球規模で環境を考えるグローバルな祝日へと
混合・進化できたかもしれないのに…、
 
それらを分割、独立させちゃって…ねぇ。
 
ねぇと言われても…。
 
 
 
みどりの日からは、
伝統という血脈が抜かれちゃって、
「観念的な抜け殻」…空虚な綺麗事・他人事になっちゃってるし、
 
昭和の日は昭和の日で、
戦後に志向した、より公平な精神…、崇高な表看板を外されちゃって、
「剥き出しの保守主義」というか、利己的で自分勝手な自己満足というか、
懐古主義が、さらけ出されちゃって…*1
 
 
すごく勿体ないことをしちゃったんじゃないかなぁ…。
 
 
 
まぁ、世の多くの人にとっては、
 
ゴールデンウィークに長期休暇を取るための、
休日作りの方便さえあれば、
それが何と説明されてても構わない。
 
…のかもしれないけれど。
 
うへー。( ̄△ ̄)

*1:個人的には疎外感を感じる。生粋な日本人だけど、古い伝統を引き継いる老舗の子孫でもないので、習慣的に共感も出来ないから。