「ワルプルギスの夜」を待ちわびて…まど☆マギ 結論推測

注意♪♪
以下の文章には、ネタバレ(になるかもしれない文章)が含まれます♪
 
ハズしていたら、盛大に笑ってやって下さい。(///▽///)ゞ
 
魔法少女まどか☆マギカ」感想 続き

ワルプルギスの夜(厨二的予測)


ワルプルギスの夜
 
これをまず、「炎による世界の浄化」
である…と、私は前提する。
 
だから、ほむらちゃんは「聖なる炎」の
役回りを演じる*1んだと思う。
 
そして、「夜」を、夜の世界を、焼き尽くす*2
 
ほわわ‥‥。
 
 
その、ほむらちゃんの「炎」の大きさとは、
幾度となく繰り返してきた「時間の長さ」に比例する
のだと思う。
 
ん? 比例?
 
 
あ、つまりそれは、例えば…
 
四畳半神話大系」の「私」が、
平行世界の別の「自分の部屋」を行き来する度に、
「自分の財布」から千円札を回収して回ったみたいに、
(リュックをいっぱいにした時点で彼はその行いを止める)
 
彼女が同じ時を繰り返してきた分だけ、
まどかへの「祈り」が蓄積されているんじゃないか…と。
 
へー。
 
 
例えば、第十話。
 
ほむらを後輩として迎えた「魔法少女まどか」は、
どうみても並以下のフツーの魔法少女でしかなかった。
 
それが、第十話の最終局面の彼女は、
契約した直後に強大な力を持った存在として生まれていた。
 
あー。
 
 
キュゥべえが、まどか のその「強さ」を、
「本来ありえないほどの…」と語ったのも、
そういうことでしょう。

すべて、ほむらちゃんの「繰り返し」が要因で
作られた「強さ」…潜在能力…なのだろう。ってこと。
 
過去への回帰が同じだと思っているであろう ほむら自身は、
そうだと気付いてないとしても*3
 
 
ここで思う。
 
第十話の途中で、「ワルプルギスの夜」を越えるだけの力ならば、
十分まどかに蓄積していたんじゃないか…と。
 
しかし、それだけでは、本当の意味では彼女は救われない。
 
それ以上の繰り返しを続けた…続け得た…
ほむらちゃんの「願い」の強さが、「祈り」の量が、
まどかを本当の意味で救えるまでに蓄積させるまでになった。
 
キュゥべえが、理解に苦しむほどに‥‥。
 
 
しかし、それをしなかったのは、…もとい…、
ほむらちゃんに、それが出来なかったのは、
こういう理由からなんだと思う。
 
というと‥‥?
 
彼女が方法を間違い続けたからだ
 
…と。
 
え? え? え?
 
 
 
まどかのママも言っている。
 
「正しさ」から抜け出せない時は、間違えろ…と。
 
 
「間違える」ことによってしか、「正しさ」の呪縛からは逃れられない。
 
 
ほむらちゃんが唇を噛みしめ、その拳を強く握るたびに、
私は、その選択を、行動を間違えているのでは?
と思って見てた*4
 
こうすれば、いいのに。ああすればこうなるのに…。と。
 
その彼女の繰り返した決断の「正しさ」…私に言わせると「誤り」…を、
あえて間違える。その「正しさ(前提)」を捨てた時に救済の道が開かれる*5
 
う〜ん。
 
 
 
つまり、この作品が提示している結論は、
 
おそらく…、
 
 
ワルプルギスの夜を、この社会の閉塞感を、
打ち破るための「炎」とは、「間違えること」である。
 
 
例えば、
 
Twitterなどのつぶやきで、軽率な発言が炎上したり、
軽犯罪を気軽に発言したりする者を、
 
「賢い生き方」をしている人達は「馬鹿だ」と嗤う。
 
「バレないようにやれよ」と。
 
うぇ‥‥。
 
 
 
でも、
 
そうやって、世の中の人が、みな「賢く」なれば、
それで この世の中は、良くなるのか?
 
…と、言葉を返したい。
 
逆でしょう? と。
 
 
だから、
 
若者の、軽率で軽はずみな間違いの数々が世に溢れるほど、
ブラック企業の脱法行為や、ファミリー企業の談合の証拠が暴き出され、
改善がやむなくなり、透明で不条理の少ない社会へと向かう
んじゃないか…。そんなふうに私は考える。
 
フラワーでしょうか?
 
 
 
若者の「間違い」が、社会に溢れた時に、
この閉塞的な社会は浄化され、生まれ変わる。
 
ワルプルギスの夜*6が燃え上がることを、私は小さく期待している。

*1:暁美ほむら…その苗字「暁美」…これは「暁を見る」の意味なのでは? つまり、ワルプルギスの夜を越えるコトを役割付けられている。

*2:夜は「止める」ものでも「倒す」ものでもない。越えるものだ。

*3:ほむらとまどか…互いが互いのことを思い、互いが互いの救済を願う。それが合わせ鏡のようになって無限の増殖を…総ての平行空間をただちに繋ぎ合わせる。そんな映像があるのかも?

*4:各エピソードとは別にも、第十話での まどかとほむらの性格が、繰り返す度に入れ替わっている感じになっている。「おどおどほむらに助けるまどか」→「おどおどまどかを助けるほむら」一方的な保護の過剰が相手を弱体化させるのは、いわゆる過保護な子どもにおいても同じ。

*5:例えばアニメ「刀語」では、主人公・とがめ に 仙人・彼我木輪廻から示された救済の道…「目的のために 目的も捨てねばならない」「真の目的のためには、捨てるべき目的だよ」あれがまんま当てはまるんじゃないかな。つまり、魔女として悲劇的な最後を迎えないために、あえて魔女になる。みたいな。あの話では、その道を選ばずに、彼女は生き方を揺るがさなかったけど。

*6:かつての問題作…「新世紀エヴァンゲリオン」の文脈から「ワルプルギスの夜」を解釈すると、「人類補完計画」にも見えるのね。「不要な肉体を捨てた」心そのものとしての「魔女」であり、そんな魔女が解け合って生まれるのがワルプルギスである…とか。そう考えると、第十話でグリーフシードが割れて出てきた「まどか」は、何かに溶け込んだようにも見えるのね。