よけてゆく

そういえば、前に笑点のお題で出て、
調べてみよう…なんて書いちゃってた   軽はずみにも♪
柴田トヨさんの詩
 
いくつか読んでみた。
 
たしかに素朴。…って感じ。
 
技巧的ではないよね。          だね。

くじけないで

くじけないで

日常的、個人的な描写の多い中で、
一番好かったなって思ったのが下記引用の歌。
くじけないで
溶けてゆく
 
ポットから
注がれる
お湯は
やさしい
言葉のようだ
 
私の
心の角砂糖は
カップのなかで
気持よく
溶けてゆく
 
比喩が好いね。心と物との。
 
心の“角”砂糖…とか。

お湯はやさしい…そして、
やさしい言葉のようだ…のとこ。
 
急須でなくポットって所が現代的で、
九十代の世代で売ってないところとかも。
いやらしいよ…、
そういう表現は…。 
 
ごめん。
 
でも、そういう“普通”なところが、随所に。
 
だね♪
 
 
 
ちなみに。
私が詠うと この歌はこうなるかな…。

私のこころ   角砂糖
カップの底で  待っている
 
熱い紅茶は   やさしい言葉
注がれるまま  溶けてゆく
気持ちよさげに 溶けてゆく
 
それだと、なんか…
溶ける時は 来ないっぽいね。
 
 
私が詠ったからね…。orz
 
溶けてゆくことが気持ちいいなんて、自己喪失願望?
肩コリとかでイイじゃん‥‥。