全ての事には意味はない

 
 
 「すべてのことに意味がある」
 
 
な〜んて言われたりする。
 
‥?
 
 
でも、この言葉。
 
より正確には、こうだと思う。
 
 
 「すべてのことに意味を持たせることができる」
 
 
〜と。
 
 
‥‥。
 
 
 
例えば、「意味のない事」を体験すること
 
〜に耐えられないタイプの人なんかは、
 
 
その起こってしまった体験に、
 
意味を与える事ができないと、心が落ち着かない。
 
他の事が疎かになってしまう。
 
 
意味が無い〜のではなく、
 
なんとしてでも意味がある事にしないと次に進めない。
 
意味は、「持たせねばならない」‥と。
 
 
 
特に、
「無意味だと思うには、つらすぎる事」なんかには。
 
 
‥‥。
 
 
 
その場合、やっぱり、
 
意味は予めあったのではない。
 
 
受け入れる事が容易ではない、
 
軽く無視することのできない、
 
忘れ得る事のできない体験を持て余した後に、
 
 
その後に、
 
後付けで、その体験に意味を与えてるんだよ。
 
 

 
 
 
その「解釈」の論理の中において、
 
「過去」や「未来」が関連づけられ、
 
それを体験する前から「運命として決まっていた」
 
〜といったものも、
 
 
そんな定式の一つとしてあるだけで…さ。
 
 
え〜っと‥。
 
 
 
 
でも、
 
何もかもが意味があり、
 
あらゆる事を記憶し戒めていなければならない
 
 
〜とかなんとか言い出されたら、
 
 
それこそ、そんな生活は つらいよね。
 
 
ひっくり返したっ♪♪
 
 
 
基本的に、
 
「意味など無い」と思って生きていられた方が、
 
幸せだよなー。
 
 
あそっ♪
 
 
 
 
…けど、
 
 
どうでも良いような言葉尻や、細かな所作に意味を見出す人が居たり、
 
それがローカルルールとして「常識」になっていたり、
 
それに気付かない事が、非常識や、浅慮だとか、KYだとか
 
言われてしまうのも、また、良くあること。
 
 
 
あらかじめ存在する「意味」に、
 
取り込まれてしまう事もあるから、
 
 
疑心暗鬼的に、
 
 すべての事に意味があるかも知れない
 
〜という事は、
 
ちょっとした恐怖なのよね。