「かもしれない」は、かもしれなくない

 
 「〜かもしれないね」
 
 
可能性の話を指摘すると、こんな風に同意される。
 
 

 
 
 
「可能性の話」なんだから、
 
例えば…、
 
 30%はAで、
 20%はB、
 10%はC、
  :
 40%はその他〜で判らない。
 
 
例えばこんな想定で話をしている場合ね。
 
 
はい?
 
 
 
 
そんなAやBの場合の話を、総合的に話しようと思ってね。
 
例えば、
 
 「Bかもしれない」
 
〜とか言うんだけど、
 
 
Aを主張してる相手側に、
 
 「決めつけないで!」
 
〜とかって叱責される。
 
 
♪♪
 
 
う〜ん‥‥。
 
 
いや、べつに決めつけてないよ…。
 
 
 
主たる可能性としては、同意見なんだし‥‥。
 
 
 
う〜ん‥‥。
 
 
 
 
でもね。
 
 
最近、気付いたんだ‥。
 
 
 
フツーの人は、文字通りの意味で、この言葉を使ってはいないんだ‥って。
 
 
というと?
 
 
 
フツーの人の言う、「〜かもしれない」って言葉は、
 
 
 「ほぼ99%自分の意見で確実だろうけれど、
 
  確実な証拠は無いし、
 
  相手にも面子があるから、「かもしれない」って付けて
 
  逃げ道を残しておいてあげよう…。」
 
 
〜って、意味らしいのね。
 
優しさというか、上から目線。
 
あ〜〜‥‥し
 
 
 
 
だから、私が、
 
 
 「仮にaが間違いで実際はbだとしたら、
 
  状況はBかもしれない。」
 
 
〜とか言っても、
 
前半部分は耳に入らない。
 
 
 「aならばAだろう」という因果性の話にもならないし、
  どのくらいの確度で「aが正しい」と言えそうなのか〜、
  とか、
  事実でない可能性になりうる別の根拠bやcを上げる〜、
 
  
…とかって話には、展開してゆかない。
 
 
で、どうなるの?
 
 
 
「Bなんて、決めつけないで!」
 
「なんで、Bだと思うのっ!」
 
 
…となる。
 
 
 
「〜だと思うの?」って、その条件は示しているんだけど…、
 
ぜんぜん耳には入ってないみたい。
 
 
 
どうやら求めている回答は、問うている意味は、
 
「Bという結論を望むのは何故か?」
 
…ってことらしい。
 
 
だから、証拠や因果はどうでも良いらしい。
 
ぜんぜん関係無いコトらしい。
 
 
 
いや‥、
 
仮にそのBが、ネガティブな結論であるならば、
そうなることを こちらも望んではいないし、
 
 
それを回避する相談ができればいいな…と思って、
 
いろいろな想定を提案しているんだけど…、
 
 
前提から話が噛み合わない。
 
難しくなるし‥ね。
 
 
 
ああ‥、
 
安全神話」ってのにも、
 
こうやって追い込まれていくのかな〜
 
‥とか、漠然と思った。
 
 
 
‥‥そうね。
 
 
 
 
結局、
 
「かもしれないね」という言葉は、
 
可能性の追求を求めているんじゃない。
 
 
その話題の「終了宣言」らしいのね。
 
‥どうやら。
 
わかりにくい‥‥。 
 
 
ねぇ‥。
 
 
でも、
 
どうやら、そうらしいのね。