プロメテウスとエピメテウスの優劣

プロメテウスは人類に火をもたらした英雄で、
 
エピメテウスは愚鈍な弟。
 
 
先を考えることは優秀で、
 
過去を考えることは無能って価値観。
 
 
 
でも、
 
循環社会のなかでは両者は同じ。
 
 
‥‥?
 
 
 
例えば、
 
「自分の失敗」という過去について考えることは、
 
次にそれを行う前に、その成功のためにどうするか〜を
 
「事前に」考える事でもあるよね。
 
 
はぁ‥。
 
 
いや、
 
このような事例でなくとも、両者は結局のところ
 
同じとなる。
 

 
 
 
 
あり得ない想定だけど、
 
「二度と同じ行為をしない/出来ない」場合であっても、
 
順列組合せ的に考えれば、為し得る行為は限られていて、
 
結局は、
 
為し得る行為というものは、そのような可能性の中から
 
選択すること‥でしかない。
 
 
あー‥。
 
 
 
突き詰めて考えれば、
 
 
その可能性の中から「何を選んでいないか」を考えること
 
 と、
 
その中で「既に何を選んだか」を覚えているか
 
 は、
 
実質的に同じことである。
 
もう少し‥。
 
 
 
言ってしまえば、
 
一覧表の中に、
 
○を付けてゆくか、
 
×を付けてゆくか〜の違いみたいなもの。
 
 
はぁ‥。
 
 
 
逆に言えば、
 
 
両者に大きな違いを感じることこそ、
 
世の全体、全貌が見えていない未熟さの証明でもある。
 
 
‥と言えるのかもしれない。
 
 
う〜ん‥‥。
 
 
 
「最良の選択」を選ぶ根拠が、
 
未知か既知かしかない‥んだったならば、
 
それらは共に愚か‥なんじゃないかな。
 
 
 
まぁね♪♪
 
 
 
流行のように、
 
未知であること、新奇さを感じられる事だけが、
正しさの証拠だと思っているのは浅はかだし、
 
 
伝統のように、
 
ただ先例を無批判に踏襲してさえいればよい‥ってのも、
また動揺に滑稽だと思う。
 
 
 
結局の所、
 
「古きをたずねて 新しきを知る」
 
 
って、事になるんじゃないかな。
 
 
結局、それ?
 
 
だとしたら、エピメテウスこそが
人類の英知であるところの‥文化基盤を支える存在であって、
 
神話において彼をこそ 生き延びさせた理由…なんじゃないかな。
 
 
え? ‥あー‥‥。
 
 
 
 
 
蛇足ながら、
 
パンドラの箱から飛び出した「災厄」とは、
 
今風に言えば、
 
安全神話」によって覆い隠し続けていた「事実」の事であって、
 
 
最も危険な「災厄の種」が「希望」であり、
 
それが箱の中に残った=希望無き世界こそが「幸い」
 
という解釈を支持してる。
 
 
一発逆転の裏技・妙案があるはず、
「改革」すればバラ色の世界が待っている〜的な楽観論が、
闇雲に社会を壊している様な気がする。
 
プロメテウスの「先見の明」も、結局のところ、
災厄の結果しか もたらしていないんじゃなかろうか。
 
それは、神が理不尽なのではなく、人の熟慮の方にそもそもの限界がある。
 
 
 
近年「失敗学」なんてものもある。
 
失敗に真摯に向き合う者こそが…、