創作活動は夢に似ている。
何かを考えて産み出すことってさ…。
夢に似てるよね…。
ん〜?
夢を形にすることだから!
‥じゃなくて?
う〜ん。
そういう意味でも間違いではないんだけれど…、
今、私が言いたかったのは、
寝てる時に見る「夢」の方。
夢‥?
うん。
起きて直ぐに忘れてしまう夢。
思い出そうとしても思い出せない夢。
だけど、なんだかスゴイことだった…って気持ちだけは残っているあれ。
ん〜。
形にして留めておかなと、
直ぐに忘れて思い出せなくなってしまう。
創作活動みたいなアイディア物も、
思い付いたその場で形にしておかないと、
すぐに色あせて忘れてしまう。
あー。
そして、
例え、思い出せるように、
アイディアだけ、要点だけをメモっていても、
時間が経ちすぎて、
その時の感情や感覚を忘れてしまった頃に、
思い出して仕上げようとしても…、
断片的なメモだけでは、どんな完成図を その時
思い描いていたのかがよく判らなくなっていたりする。
夢日記って、意味判らないよね〜。
でも、
気持ち感覚が、僅かにでも残っていれば、
他人が見たらまず意味の分らない
とても断片的で部分的なメモであっても、
そこに全部集約されている。
その時、思い付いた全部が、そこから引き出せるのね。
その時は、それで当たり前なんだけど、
時機を逸しちゃうと、なぜそれができるのか、
自分でも解らなかったりするんだよね。
へー。
で、
例えその感覚を忘れても、
再びその感情を甦らせる…再現させることができるだけのものが、
自分だけでなく、他人にも共感を懐かせることができる。
それができるものこそが「作品」
…ってことに、なるんだろうな。
って。
そんな「作品」は、作れてないもんね〜♪♪
うん。
だから、これは推測。
‥‥。
でも、
こんな作品未満の状態であっても、
その体験が多い人ほど、
夢…睡眠の大切さを理解できる
のかも知れない。
…とかなんとか。
え〜っと‥‥。
形にできずに失ってしまったアイディアと、
形にできたから評価されている作品と、
その差には、偶々偶然、時間やタイミングで、
形にできるチャンスが有ったか無かったか…、
そんな些細な差しかないのだから…。
その前の段階では、
自分にとって等価の存在だったことを、知っているのだから…。
でも、思い出せない♪♪
「逃した魚は大きい」…とも言う。