魔法を使う覚悟


映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』見たい!
魔法が使えるとしたら、どんな魔法を使ってみたいですか?
 
魔法だって〜♪
 
なにを願う〜?!
 
 
 
大きな力を使ったら、それだけ世界の歪みも大きくなるものよ。
 
その覚悟があって言うことね。
 
だいなし…。
 
 
例えば‥、
 
空を飛ぶ魔法が有ったとして、その原理がなんであれ、
 
無駄に重たいモノを自由に中空を移動させるのに
必要なエネルギーは、何らかの形で消費されるのだから。
 
その原理が…例えば、ヘリコプターのようなものであれば、
周囲にものすごい風圧を撒き散らすわけで…、副作用が出る。
目的に必要なエネルギー量と比べ、消費されるエネルギー量は
必然的に大きくなってしまう。
 
 
 
また例えば、変身能力があったとしようか、
 
その効果が、自らを物理的に変化させるモノなのか、
周囲の人間に錯覚を及ぼすモノなのか。はたまた、
自らを覆う何かを出現させるのか、小さいモノへの
変化ならば、空間を歪めてその中へ入るのか。
他人への干渉として、脳へ直接及ぼすモノなのか、
視覚等を感覚器官へ誤動作として干渉するモノなのか、
感覚器官が受け取る前に情報を操作しているのか…。
 
言葉にして一言で言えば同じ能力であっても、
微妙に成果は異なるし、弱点(副作用)も変わってくる。
 
物理的な変化であれば、非可逆な変化であり、
元に戻ると言っても似た別のモノにしかなれない。
正確に戻せる情報が何処かに担保されているならば、
それを元に正確なコピーも作れる道理…。
 
チュ一二 チュ一二♪♪
 
これはこれで面白いんだけどな−。
 
 
思考実験w
 
モノは言いよう‥‥。
 
魔法はあると思う?
 
え?
 
存在しない力を魔法って言うんじゃないの?
 
それは信じない立場からの定義だと思うのね。
 
 
科学的に確かだとは言えなくても、
「こうすれば、こうなる」と信じて行われる行為はあって、
理由は判らないけど、必ずそうなっちゃうことってのも、
やっぱりあるのね。
 
偶然とか、タマタマとかでなく?
 
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 
同じに見える行為の中であっても、
できる人と できない人、できる場合と できない場合には、
人が知覚できていない 何らかの前提条件の違いがある
のかもしれない訳で…。
 
う〜ん‥‥。
 
 
 
 
結局のところ、魔法ってのは、
 
「原理は正確には解っていないけれど、
 因果関係として、こうすれば、こうなる…と、
 信じて行い、結果が伴った場合…に行った行為。」

 
ってことになるんだろうね。
 
民間療法の薬草とか、原理は解らずに使われてきたわけだし、
実際に効果があるものも、あると信じられていただけのものも
あったりしたわけで…ね。
 
‥‥。
 
 
「分かる」って言葉にも、様々に段階があって、
 
ある厳密さをもって言えば、「飛行機が飛ぶ理由は解らない」
とも言えるわけだし、
 
素粒子が解明されなければ、
分子化学で今、分かっているとされている事も、
そのレベルからは正確でないと言えちゃうわけ。
 
化学が無かった時代に確かだと思われていた事が、
そうでもないと分ったりしたように。
 
また、化学が普及した時代に入ったら、
その時点で化学的に正しいかどうか分らないものを、
総じて「迷信」として、今から見れば正しいものまでもを、
文化的に捨ててしまっていたわけだし…。
 
 
そんな境界にあるモノを、正しいも、間違いも、
公的に正しいと言い切れない事を持って「魔法」って言うんだよ。
 
きっと。
 
‥‥。