失敗の効能。解釈の視点。+【まど☆マギ】

鬱傾向の人とか、分裂しかかっているみたいな人とか、
過労死に邁進しているような状態にある者に対して、
 
「正論」を言っても通じない。
 
それを押し殺す理屈を、すでに自分の中で作り上げてしまっている。
だから、たいていのコトでは その心まで響かない。
だからこそ、自分を そこまで追い込めてしまっているのです。
 
 
そんな人に、自らの置かれている構図に気付いてもらうには、
心苦しくもあるけれど、失敗して貰うしかない。
 
意図的に、それを後押しすることまでは、
さすがに心理的ハードルが高すぎるもの。
 
ただ「救いたい」との思いから かけている言葉も、通じない。
 
 
と、まえふり?
 
 
 
何の話をしようとしているか…と言えば、もう一度だけ、
魔法少女まどか☆マギカ」の話。       まじか☆マタカ♪
TVアニメーション「魔法少女まどか☆マギカ」公式サイト
以下、観てない方には意図の酌み辛い
文章になります。ごめんなさい。
(関連記事:その1/雑記1/その2) 
 
 
今回取り上げるのは、第6話のエピソード。
まどか が ママのアドバイスを真に受けて、
大失態をしでかす。あのエピソードについて。
 
失敗すればいいと言われて、突飛な行動に打って出て、
心ならずも、友人を危機に追いやってしまった…として
描かれていたあのエピソード(詳細は省略)。
 
 
あのエピソードを そのまま「失敗だ」と解釈している人が
意外に居るようで驚いている。
 
あれは、「成功」のエピソードでしょ。
 
え?! なんで?!
 
 
 
そのまま言っても、理解されない。
 
何を言っても通じない相手に対して、
「真実」に気付いてもらえたのだから。
 
う〜ん‥‥。
 
 
このような「事件」でも起きない限り、
世界を異に、認識を異にしている相手に対して、
状況を きちんと「理解」してもらうことは、
ほとんどできないと思えるから*1。そう私は感じているから。
 
そういう状況に苦慮しているから、私にはこれが、
素直に「成功だ」と思えてしまったのね。
 
このシーンを見た時に。その時に素直にそう思った。
 
第10話を見た後ではなく。
 
‥‥。
 
 
 
例えば…、
 
時事問題の原発事故に関しても、この地震災害無しに、
今明らかになってるような問題が 事前に提示されていても、
今のような大きな社会的反応は起きていないと思うのよね。
 
そして、もし、この危機…失態を、軽微な被害で 乗り切れていた
としたなら、それに気がつくのは、もっと大きな事故が起きた時に
先送りになっていた と思うのよね。
 
もし、先のデータ捏造事件で全国の原子炉を止めた時に、
仮に東京都が大規模停電するような事態に陥っていれば、
この反応は、その時に起きていたんじゃないか…と思う*2
 
けれど、乗り切れてしまった。優秀だったからだろう。
「正しい危機回避」を行ったからだろう。その時点だけで見れば。
 
 
不適切な例えだとは、重々思うのだけれど…。
 
 
気分を害された方には、ごめんなさい。
 
この他に効果的な比喩が思いつかなかった私の無力を責めて…。
 
 
 
「茹でガエル」を救うために、その鍋から追い出すには、
カエルに対して、一見 危害を加えるような行為しか、
効果のある術は無いんじゃないかと感じている。
 
例外が無いとは思わない。けれど、それはとてもとても難しい。
 
 
ほんと、どうしていいか判らない。ほんとに。
 
なんか、大変なのね…。
 
 
 
自分で自分を追い込んで、そのまま自滅した さやか だけど、
そのプロセスを自業自得だとも見れなくはない けれど、
そこまで追い込まれても、周囲の誰かを「悪」に仕立てて
責めていないのがスゴイと思う。立派だと言いたい。
 
自分だけで抱え込んで、自己完結した「魔女」になる。
 
そういう「魔女」になれるのは、ある意味スゴイと思う。
フツーの人では成れない。易きに流れちゃうから。
 
 
 
しかし…、
 
どんなに引きこもっても、世界は繋がっている。
 
どんなに どんなに、自分を押し殺しても、
その影響をゼロにすることはできない。
 
生きている限り…。この世に生まれ落ちたからには…。



蛇足のつま先(書かない方がトクなのに…)

最初にボツとして葬ったものなのだけど…(&+α)。
 
ハッピーエンドのためには…。
(厨二*3的 辻褄合わせ)
 

マミさん死んでない説

ソウルジェムの破壊は描かれていない。
魔女化したという話もない。
 ↓
肉体は破壊されたが、魂は生きている。
 ↓
体さえ元に戻れば、元通り魔法少女として活動は出来る。
(超常的な回復力を秘めていることは示されている。)
 ↓
しかし、それには時間がかかる。
(死んだと思わさせられたのは、ソウルジェムの設定が 伏せられていた が故のミスリード)

さやかの場合。

それとは逆に、体だけは保管されていた。
 ↓
心が回収可能ならば、それを肉体に戻せるのかも?

杏子の場合。

???
 
…きっちり割っちゃってたね。さすがにダメか…。

ワルプルギスの夜

第十話の第一のマミは、それが来るのを知っていて、事前に備えようとしていた。
杏子も、ほむらにワルプルギスの夜の出現ポイントを聞いた時、
過去に何度も起きている〜とでもいうような感じで ごく当たり前の事として、
さして説明も求めずに、それを受け取っている。
 ↓
かつて何度も倒されているかのような存在が、特定個人であると見るのは苦しい。
 ↓
「誰か」ではなく「現象」なのではないか。


仮説1
 
ワルプルギスは「誰か」ではない。
 ↓
ならば、街中から回収された魔女…魔女の集合体か。
 ↓
仮に集合体であり、誰かではなくとも、
その集合体を一人格に統合することは可能…
 
…であるならば、
 ↓
OPに描かれている黒猫は、ワルプルギスである…とすることはできる。
 
その「回収」が「自然現象」であれば、これで終わり。


仮説2
 
魔女(魂)の回収…
これをコントロールする存在があるのならば、それを
黒いインキュベーター(ガバナンス?)である。
 
…と規定できるのかも。それが黒猫の姿を取る…と。


補足
 
ほむらの輪廻は第十話で描かれた数回だけではない?
 ↓ 
ほむらは杏子に対して、
ワルプルギスの夜の出現ポイントを、「統計」と答えている。
 ↓
統計的に有意な結論を得るには、
数回などという程度では無理。
 ↓
よって、第一話が十話の直接的な続きであり、
それが数回目であるということでなくともよい。

唇を噛みしめ、拳を握るほむら

その所作を、しっかり初見の視聴者に対して、
怒りや不愉快であるとミスリードさせることに
成功していたみたいだ。やっぱりスゴイ。
ググってすぐ目に付く掲示板の感想を見る限りだけど。
 
  その時の感情が本当は、嬉しさや悲しさや悔しさ…
  自分の溢れる感情を押し殺している様である(だろう)と、
  後に明らかになるのだが。
 
そしてその時に、その記憶の改変を求められた時に、
どのような化学反応を脳内で起こしたんだろう…と
考えると胸が熱くなる*4
 
 
それら論理的な「理解」を覆す複線として、BGMや
効果音によって、「違和感」を埋め込んでいるのも 上手いなぁ…と思う。
 
であるからこそ、認識を改めさせられるエピソードを 突きつけられた時にも、
「なんだそれ? むちゃくちゃだ」とは思わせずに、
「本当は、そうだったんだ…」と思わせることができたんじゃないか…と。
 
 
結論を予言することは実質不可能なんだけど、
これまでの複線の消化のギリギリさ加減を見ていると、それを信じてもいいんじゃないかな。
 
脚本がバッドエンドに定評のある人みたいなんだけど、
TVアニメの企画になっている段階でハードルがいろいろ(大人の事情とか)あるし…。
ねぇ?
 
でも、仮に この物語がバッドエンドで結ばれていたとしても、
今ここに示してたような価値観が、揺らいでしまうことは、ない
…ないんじゃ…ないかな。

*1:作中のエピソードで例えれば、第3話でマミさんが さやかに対して「同じようでも全然違う」と助言するところ。さやかがどこで間違えるかを的確に指摘(予知)している。けれど、“だからこそ” さやかは それを受け入れられない。気分を害し、自分の本心を偽る「正しさ」を積み上げてゆく。「正しい助言」は、彼女を追い詰める方向にしか作用しない。

*2:そうはならずに、逆に、原発推進派の意見が幅を効かすようになっていた可能性の方が高いかも知れない。この例えでは。「例え」の選択ミスは認めるけれど、「喩え」の意図が何であったのかを酌んで理解して戴きたい。

*3:作品を推察するのには、二つの方向性があると思う。一つは、現実の何を比喩しているのかに照らして考える方法。もう一つは、作中の設定に則して積み上げ式に考える方法と。私はそれらの内の後者の方を「厨二」と呼ぶことにしている。厨二…なんとなくよく目にするから、何となく使っていたのだけど、正確なところは正直よく判らない。

*4:世の理が「等価交換である」と言い続けてきたアニメ「鋼の錬金術師(初期)」が、その理を否定する結論を用意してたみたいに。純粋な視聴者が、その裏切りをどう受け止めたのか…興味深い。