やさしさにつつまれている

 
♪「ふしぎに夢を叶えてくれた」
 
とか歌われている。ユーミンの「やさしさに包まれたなら」。
 
 
その「夢」ってのは、どの範囲のコトなんでしょうね。
 
…、夢は、夢
なんじゃない?
 
就職とか受賞とか? 有名になるとか、社会的成功とか?
 
あ、違うか…。
なんかものすごく些細なもののような感じ?
 
日常のちょっとした願望とか要望とかが、なぜだか
たまたま 偶然、通っちゃったり、叶っちゃったりする
…って程度のこと。
 
歌全体のイメージからはね。
 
 
だから、♪「小さい頃は 神様が居て」
 
の神様が叶えてくれていたこと。
 
あ。そっか。そこにかかるんだよね。
 
 
勘のいい母親に育てられる赤ん坊は、
ぐずる前に対応される。
 
要望が要求する前に叶えられる。
 
不具合が訴える前に対処されている。
 
お腹が空きすぎる前にお乳をもらい、
出すモノ出したら浸みて痒くなる前に、新しいおむつに替えてもらえた。
 
そこに因果関係も、誰かの意図も見出していない。
 
赤子のその時点では。
 
その個人にとって「誰かの貸し」ではないが故に、神様からの下賜*1
 
赤子だもんね。
 
それが、子どもでは…? 青少年では…?
 
目線や表情でモロバレなのに、当人にその自覚はない。
なのに何故か自分が一番欲しかったモノが自分のモトへ…神の操作?!
 
いくらでも考えられるよね。     …そぉ?
 
 
♪「開く時は今」な、♪「心の中にしまい忘れた箱」ってのは、
 
「心の中に、しま(うことを)忘れ(てい)た箱」…じゃなくって、
「心の中にしまい、忘れ(てしまってい)た箱」…なんじゃないかな。
 
その時にちゃんと、因果として理解しておいてもよかったはずの
諸処の体験の記憶。
 
開き、思い起こしてみて、改めて「当たり前」ではなかったんだと、
恩恵に溢れた奇跡の連続だったのだと、考え直すための材料。
 
 
現状の今の自分を取り巻く環境にも、さらに上位の視点を想定すれば、
今は未だ気付けていないだけで、本当は誰かのお陰なのかもしれないと思える
「当たり前」な 他者からの影響…メッセージ…を、確かに感じられる。
誰からだと個人を特定できなくとも その存在は、確かに信じられる。
 
 
そんな叶って当然の当たり前なこと(本当は違う)の延長線上で、
そんなことこそが、
 
大人になってからも起きる…起きている…「奇跡」ってコトなんじゃないかな。
 
現時点で「奇蹟」と考えているような超常現象的な事が現前する
…という意味ではなく、
今まで「当たり前」だと思ってきたことが、実は奇蹟であり、
そしてそれが これまでのように、これからも起きるだろう…と。
 
やさしさにつつまれているんだ
…と。
 
 
 
あえて恩着せがましく「やっといてあげたよ」
 
とか、言われることもなく さりげなくかけられている優しさ。
 
間接的に、目に見えないところでの行為が回り回って
自分へかけられているものも含めた 広く薄い関係性。
 
スベテのコトに、そのような影響を見出すことは できなくはない(かもしれない)。
 

クチナシの香を楽しめるのも、それを植え、
日々それを世話をしている人が確かに居てくれるから。
 
カーテンを開けば、木漏れ日*2に与れるのも、
日照権が侵害されていないから…。
 
ある意味、コジツケ?
 
 
…まぁねw
 
そういった自己理解で、この世界を感じられている時が、
「やさしさにつつまれ」ていると形容されている時。
 
 
誰のお陰かは判らないけれど、確かに誰かの善意を感じる。
 
 
偶然だ、偶々だ、自分の運も実力の内だ…と過信し、
自惚れてしまうのではなく、
 
誰か、第三者、…神? …への感謝ができる心境。
 
‥‥。
 
 
さらに上位の視点の存在が信じられることは、
自分がこれまで以上に成長できる伸びしろをも、
示してくれている。
 
 
今こんな心境になれたのも、きっと辛いことがあった後だから。
雨上がりの庭に、クチナシが香るように。…ってコトかもね。
 
辛いこと…?

*1:駄洒落じゃないよw

*2:木漏れ日…カーテンを開けて入るソレは、戸漏れ陽と言うべきかw