私はネガティブな発言をする。

これまでご覧の通り、私はネガティブな発言をする。
 
で、そんな自分を受け入れている。     う、うん。
 
…かといって向上心が無い訳じゃないよ。
 
成長しないけどね。
 
それは結果…。
 
 
現状を認めることは成長・改善の基盤であり足場である。
それを怠ったまま、さらにその上に積み上げることは、
転倒のリスクを高め、怪我・被害を増大させる。
 
しかし、
ことさらネガティブを怖れる世間様は、見つける端から、
その存在を否定し、表面だけ矯正し、排除しようとする。
存在を認めずネグレクトする。
 
まるで感染病の病人扱い。
 
…‥。
 
でも、そこで思うのね。
 
   
両者を客観的に比較して、どちらが本当にはネガティブなんだろう?
 
…って、
 
当人が許容しているレベルであっても許さない。
許せない その背景には、
そのちょっとしたネガティブな言説にすら、
引っ張られ
捕らわれてしまうほど、
不安定で危うい場所で
虚勢を張っている人であるからなんだな。…と分かるから。
 
多くの人は、
占いを信じるが、よい結果しか見ない。と言う。
 
同じだな。と思う。
 
同じ…?
 
 
占いを人生に生かすには、
良いと悪いの変動を味わう必要がある。と思う。
現状が悪いのだと思うから…思っていればこそ、
不意の優しさや幸運に感謝できる。
そして、
感謝し、現状を幸せに思える心を知っていればこそ、
不運を悲しむ事もできる。
悲しみを知っていれば、
他者に同情することもできるようになる。
 
占いで 悪い結果を受け入られない心 と、
ネガティブが身近にあることを認められない心…
 
うん。
 
そして、
他者の境遇に同情できない人と、占いで良い結果しか見ない人…、
加えて、
景気の良い人としか付き合わない。興味を示さない人たち。
 
 
もし、運気の変動を、境遇の変位を認められるならば、
 
現状が固定的なものではなく、
変化し、サイクルするものなのだ…と信じることもできる。
 
考えが固定されない。
 
 
それらの意味で、
一定のバランスを保ってさえいれば、
占いを信じる…ロールプレイする…ことは、
結果、精神のバランスを測る目安となる。
 
目安としての占いならば、どのTV局の占いでも良い。
なんならサイコロでもいい。
 
 
 
…それを、信じられてる?
 
それ…聞く?
 
…やっぱ、
 
当人が実践者じゃないと、説得力無い…よね。