とうとうブログ開始から一年目なのですが…

とりあえず一年続けてこれた。毎日更新。明日から二年目。
 
厳密にはギリアウトな日も何日かは有ったんだけど…。
 
それは秘密…ι
 
 
私にとっての一年間を標準化するための素材として、まぁ
とりあえず続けてきてみたけれど、これからどうしよう…。
 
 
来訪者がこれだけ少ないブログだと、
 
訪問者の傾向だとか分析しようにも、
 
あまりにダイレクト過ぎて、申し訳ないよね。
 
特定個人の趣向分析になっちゃう。
 
 

 
…そんな、
ほとんど誰の目にも留まらなかったこの日記。
 
ただ、何故だか数だけ回るカウンターが不気味だった。
 
だって、
リンク元」として残ってるアドレスの何十倍も回っているのよ…。*1
 
 
ロボットってヤツは、いったい どれくらいの数、巡回してるの?!
 
 
毎度、毎日、ご丁寧に、過去記事にも当っているの?!
だから、記事数増分に比例して、アクセス数が増してるの?!
(記事数を倍にしたら、アクセス数も倍になったりしてねw)
 
 
それとも誰?! 誰か来てるの〜〜?!
 
 
その叫びは、虚しくこだました。

対個人

ある人に言わせたら自業自得なんだよね。判ってる。
 
私自身、お礼コメ…とか、お礼★…とか、しない主義*2で、
純粋に記事内容に対するリアクションとして それらを行いたい
…とか、思っているのだけれど、自分の触手の動く範疇の狭さに、
他所様を辿る度に、鬱になる。
どこツッこめばいいの?!
 
…って。

対公人

サービス元が提供しているイベント(?)である、「今週のお題」。
 
はてなキーワード自動リンクからの来訪が少ないのは まぁ判るけど、
 
お題提供者様 直々の紹介記事からの来訪者ですら、二桁届かない*3現状
 
…となると、
 
自分の心配するよりも、はてなのサービス自体に心配が向いてしまう。
 
その行為って…、ほんとに ユーザー獲得に役立っているの?!
 
賭けた労力に見合っているの?! …とかね。
 
 
大きなお世話。お前などに言われることじゃない…ですよね。判ってる。

対不特定多数

「たった一人でも読者が居れば、私は書き続ける」
 
…な〜んて、大昔の大作家の 昔語り みたいなコトを、
私などに言える道理はない。
 
 
アチラさんは、どんなに人気が少なかったからと言ったって、
全国展開している雑誌に掲載されているような身分にあって、
 
読者が一人だけ〜なんてことは、そもそも あり得ない。
 
ファンレターをくれるような熱烈な大ファンが、
たった一人だったとしても。
 
 
売り上げ部数…掛けることの二割三割の割合…では、
少なくとも読まれてはいたと計算できるでしょう。
 
そういった見えないレベルでの認知と影響力が働き続けるからこそ、
それを続ける行為には、意味も意義も実益もあったわけだ。結果的に。
 
ロボしか巡回していないブログなんて、本当に一人は一人でしかない。
 
 
ああいうのは、結局、くじけそうな自分を奮い立たせるための屁理屈
であって、まぁ、当時そう思って 投げ出さずに続けて来たからこそ、
今がある…という大作家固有の結果論でしかない。
 
そして、彼らには掲載誌の出版社を相手にした契約関係があり、
そもそも書かねばならない義務を負っている。大人の責任として、
まず、書かなければならない。それを無視して、方便として、
後付けとして、綺麗事として、読者云々で語られてもねぇ…。
 
 
 
そういえば、
 
「偉人は決して諦めなかったから 成功という結果がある」
 
〜とかナントカいう話も、近頃よく語られている。
 
それが「成功者の共通点」であることは仮に正しいのだとしても、
「諦めなかった者ならば、誰もが成功をつかめる」という訳ではない。
決して諦めなかったとしても、志半ばで散った者の方が、きっと多い。
 
それはそうかな…。
 
 
自分を鼓舞してた作家先生諸氏とは違って、まぁ、こちらとしても、
別に生活が懸かっている訳でもないし、この行いによって、今後
特にどうにかなりたい訳でもない。
 
 
 
本当は、比較することに、そもそも意味が無い。
 
単にクラウドという場所に、個人の日記を保管しているだけ
なんだし。実態は。
 
不意のリアクションは、まぁ、オマケみたいなもの。
 
誰かに読まれているかも知れない という「ゼロでない可能性」。
 
 
ただ、その一点が違うだけ…。
 
匿名ブログを続けるかどうかは、最終的に、これに価値を認めるか どうか…。
 
 
 
 
 
 
 
 
あの…誕生日までに名前を付けてくれるって話あったよね?
憶えて…る?
 
あ。
 
ああ、そうだったね。う、うん。憶えてるよ。憶えてる。

*1:リンク元が4として、ページビューが120とか。

*2:そういうのを認めると、たまたま暇で、方々で足跡残しまくった日に書いた記事が評価高い…って、実態の評価とは懸離れた偏りが生まれちゃうことになる。そういうのを私自身が好まないので、自分が好まないことは、私からは他者に対してできない。

*3:記事を紹介されたその頃は…です。