人になれなかったヒト

今週のお題「生まれ変わったら○○になりたい!」だって。
 
生まれ変わったらねぇ…。
 
こういう質問って、たいてい「生まれ変わったら」って表現されるけど、
どんな人間も、将来の職業や立場を背負って生まれてくることはない。
 
オリンピック選手とか漫画家とかアイドル歌手とか答えても、
生まれ変わった瞬間は、誰もがそうなれる可能性を持って生まれて
きているハズだから、その質問には、さして意味は無いよね。
 
「あの頃に戻れるなら…」に似てるね。
 
 
だから、
生まれ変わったら、その時代に即した情報と経験に沿って、
いろいろな判断を繰り返して、その時代にあった成長を遂げたい。
 
「何かに成るために生まれ変わる」ということができたとしても、
私はそういう選択はしたいと思わないな。
 
時代は流れているもの。
 
今、魅力的に見えることが、生まれ変わった後の世界に
同じように魅力的だとは限らないのだから…。 
 
価値観の流転…。
 
 
 

あ。

この質問には もう一つ、問うているものがあるよね。
 
人として生まれ変わる以外の選択肢を含めた問いとしての解釈。
 
キリスト教的には、人間の魂は特別だから、もしかしたら
これは、日本人ならではの受け止め方かも知れないけどね。
 
一寸の虫にも五分の魂。
 
魂の平等。命の平等。その前提があっての生まれ変わり。
 
 
だけど、仏教説話的には、「人間には生まれ変わることができない」
という懲罰的な意味合いも含まれて語られていますよね。人外転生。
 
ああ…。
もはやツミビト同然の私は、何に生まれ変わるとされているのだろうかな…。
 
ムシケラ?
 
 
でも、
ニンゲンに生まれたからって、人間になれる訳でもないのよね…。
 
人は社会性を獲得して、人間になる。
 
 
…。
 
…ハヤく ニンゲンに ナリタイ…。
 
もはや、生まれ変わった方が 早いのかもよ…。