鬼という虚構

今週のお題は「節分」だってー。
 
 
そっかー、明日は節分かー‥。
 
 
 
節分というと、ちょっとちがうけど、
 
 
ナマハゲを思い出すんだよね。
 
 
鬼は出るよね。
 
 
あれ、欺瞞だよね。
 
 
いい子になれ〜、嘘を吐くな〜と、
 
悪い子狩りをする その主体が嘘そのものだという‥。
 
♪♪
 
 
 
あのシステムは、
 
どういう「大人」を「教育」するんだろう…と。
 
 
え〜と‥‥?
 
 
つまり、
 
嘘は大人の特権。子どもは騙されていればいい。
 
 
‥かな?
 
‥‥?!
 
 
  
それとも、
 
目下の者は目上の者の言う事を、
 
それを嘘だと判っていても従えって事なのかな?
 
 
‥‥。
 
 
 
確かに、領民がバカ正直だったら、
 
一部の嘘吐きには管理が‥統治がしやすいだろうなー
 
って思うけどさ。
 
予想外の行為を行う者が居ないなら、
 
想定外の事件が起きる事も無いんだし…。
 
 
え〜っと‥‥。
 
 
 
 
いや、
 
その「鬼」は嘘ではなく、
 
「寓意」であり「象徴」であるから嘘ではない。
 
とも言えるんだろうけれど…。
 
 
幼少時に植え付けたトラウマに、
 
世の悪や穢れを、後付けて教え関連付け、
 
それを生理的に忌避させる。
 
その余白とする教育…。
 
 
 
これ‥、
 
今問題になっている体罰問題とも、
 
無縁ではない教育観だと思うんだよね。
 
 
‥‥。