多くの「ストレス」は「解消」するものではないのかもよ…。

今週のお題は「ストレス解消法」〜♪
 
はい。
「ストレス解消法」ですよ。ストレス…
貯まってるんじゃない?
 
別に…。
 
え〜。だって、ネガティブ発言連発しているのにぃ?!
 
ネガティブはストレスに起因するって誰が決めたの?!( `r´)ぷぅ
 
それに、
ネガティブな発言は、必ずしも、耐え難い欲求不満がもたらすとも限らないでしょ。
 
 
もしそう見えるなら…私の場合、当たり前の現状認識を客観的に行うことが、
周囲の前途洋々の望めば手に入る前提で生きている人たちから見れば、
酷くネガティブで、自分なら耐えられない…って感じられている状態である。
…ってだけ、なんじゃない?
 
 
例えばさ…、
何年も生きてれば、冬の寒さを寒いと感じても、それを嘆かないでしょ。
その寒さは“対策するのが当たり前の日常”であって、ストレスではない。

 
あー、そ〜ですか…。
 
 
これらは、精神的なストレスの話ですけどね。
 
 
単純にストレスと言えば、寒さも暑さも確かに肉体的なストレスだし、
食事も消化も胃腸系に対するストレスなんだよ。
過食が寿命を縮めるのは、もはや規定事項みたいだね*1
 
はぁ…。
 
 
ある種の「常識」の元では、その、
精神的なストレスと、肉体的なストレスは、二律背反の関係にあるのかもね。
 
突然なに?!
 
 
例えば、
「自分は年中快適に生きられるべきだ」と当然のように思っている人は、
冬に防寒対策と取ること自体に精神的なストレスを感じるんじゃない?
自然に対して私は「させられている」とか。もしくはそれに抗って、
肉体的なストレスに晒されるか…。
 
でも、
「季節は変化するものだ。冬は寒い。」と当たり前に考えている人は、
冬に防寒対策することはごく自然だし、自分ならではの対策を考えるのは
喜びにもなるし、それが肉体的な快適さに繋がれば、一石二鳥になるでしょ。

 
 
はぁ…。
だけど、冬をそんな風に捉えてる人なんて居ないでしょ…。
 
比喩ですよ。比喩。
 
 
滑稽さが実感しやすい例えで、喩えてみただけ。
 
分かりやすいって…どこが?
 
 
この、「季節」の部分を、「景気」だとか、「流行」だとか*2
「周囲の人間の感情の波」などに置き換えてみたら、判るんじゃない?
 
あ…。
 
 
判ったかな?
 
 
分かり易い「○○のせい」という「原因のようなもの」が想定できるものの影響
によって、自分の不遇…ストレス…を説明できちゃうと、それに対する敵意のような、
自分が悪くないから変わるべきは相手だ…というような、べき論に陥る。
その精神状態によって、現状の自分の体感的なストレスに対して、自分をむしろ
解決には向かわせなくしてしまう…。プライド的な勝ち負けも手伝って。
 
それって、季節に喩えたそれと、ある意味で同じなわけ。
 
 
季節の厳しさに対して、住む場所を変えるか、抜本的な家の増改築をするかは、
長期スパンで別に考えるとして、当面の寒さに対しては、暖房で済ますか、
厚着で対応するか…いろいろあるけど、まずはそれから始めないと。

 
 
それと同じで、仮に自分は何も悪くなく、相手が悪いのだとしても、
相手や社会の側の改変を求めてゆくとしても、目の前の苦痛に対しては、
「それとは別に」自分でなんらかの対処はしなきゃならない…というか、
した方がいいわけ。
 
なるほどね。
 
 
 
 
…で、
現状の不満に対しては、どう解決するわけ?
 
…???
 
…あ、ああ。
 
だから、別にストレスじゃないから。くじけてはいるけど*3
 
そういうもんなんだぁ。…と、今の現状を認識して、自分にとっては、
それで当たり前なんだと思っていて、思っていても、あえて行っている
ことだから、そこにストレスは無いよ。
 
客観的に淋しい状態だな…と、理解しているだけで*4
 
それが イコール 哀しいこと …でもないのよ。 判る…かな?*5

*1:目の前の美味い物(高カロリー食品)に対しては、食べないのもストレスだし、食べることもまた別のストレス。どちらを選択してもストレスに晒されることに変わりない。第三の道を選ぶしかない。

*2:イデオロギーだとか、価値観だとか、常識だとか、保守の意味するイメージの中身だとか…、

*3:見当違いだったという認識の改めをした…ということ。

*4:世間一般の「常識」では、これくらいが「普通」として流通しているんだろうな…という私の認識と比較して、相対的にみじめな部類に分類されてしまうだろう…という客観的な認識。

*5:喩えるなら…冬は寒いと認識し、寒いとは感じているけれど、周囲がコートを着はじめていても、私は未だ半袖で大丈夫…みたいな?